2017年8月8日火曜日

神経質発刊の主旨

神経質 発刊の主旨   森田正馬 昭和5年(1930年)  今度我等同人が申合せて、雑誌を発刊する事になった。 我等は、今や神経質というものを研究して、その本態を明らかにし、その治療法に成功したつもりである。 ここから出発して、医学的には、その本態とに関する細部の研究題目が沢山あって、真面目なる研究家の努力を待ち構えている。またこれから関係する応用方面は、広き人生問題に触れる事になる。人生における破邪顕正に対して多くの拠り所を与える事になる。正しき人生観が獲られるようになる。 迷信打破に関係する、宗教的の正しき信仰に関係する。謬りたる教育の弊害が示摘される。身心の保健、修養の正しき見解が獲られる等々である。医学は今日益々進歩する。研究は益々微に入り細にわたりて遂げられる。然るに利害得失は、常に免れない所であって、「鹿を追う猟師は山を見ず」というように、一局部のみに捉われて大局を忘れるようになり、病を検索して人間を忘れ、角を矯めて牛を殺すようになるのである。 凡そ研究が、徒に微細にわたり、その当初の目的を忘れた時は、却って往々にして謬論迷信に陥る事がある。今日の医学でも、無遠慮にこれを指摘すればほとんど迷信に誓いものが決して少なくはないのである。かの骨相、人相、陶宮術の如きも、その当初は、多くの事実の帰納から出発したものであるけれども、後には「実態と機能との相関」という原理から演繹、敷衍して机上論的に益々微細にでっちあげ、次第に論理の誤謬を重ねたものであって、迷信となった所以である。学問的の事でも、これと同じ経路を取った研究方法によるものは、これを迷信と見なすべきものである。


 我等同人はここに学者と通俗、理論と実際との間に立ち、不即不離、不偏不当で、常に必ず実際に適用する事を忘れないで、この雑誌の刊行を発展させて行きたいと思うのである。我等は必ず自分が学者ぶるがために、昔の万葉仮名のように人を難解に苦しめ、自分の技術の尊厳を保つがために、昔の秘伝家のように所謂繁文縟礼の弊に陥らないように、あるいは自分の医業の自衛、偏当のために、昔の人の広告術のように衆人に害毒を与えざらんようにと、常にこの事を念としているものである。さればこの雑誌は、学者にも、読んでお貰いしたい。一般の人にも読んでお貰いしたい。多くの人間味を以て、教養ある常識において読んでお貰いしたいのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿